先日粽(ちまき)について、分からないことがありました。
台湾に住んでいる友人tenkoのブログに粽について、取り上げられていたんですが、中国と日本で食べる粽はどうして違うのか?どちらが正しいのか?知りたかったのです。
我が家では子供の頃端午の節句の粽といえば、「
中華粽」だったのです。
でも先日友人に「端午の節句の時期にはとらや(羊羹で有名な和菓子屋)に美味しい粽がでるよ」と言われ、買ってみることにしたんですが、私の中では「なんで?和菓子屋なのに、粽が売られるの?」と疑問だったのです。
実際買いに行ったところ、笹に巻かれた粽が売られていました。
種類は、ようかん・ういろう・くずの3種類で3本セットでした。
そこで私の頭はさらに「?」。
要するに笹で巻かれたお菓子を粽というのか?
東急のれん街で買い物していたので、周りのお店を見渡すと、やはり同じような粽が沢山売られていました。
なるほど・・・日本の粽とはこれをいうのか~と初めて納得。
単に私が無知だっただけなのね~
っていうか、
そういうのは親が自然と教えてくれるものだと思うんだが、
我母はあまりそういうことに興味が無いようで・・・(^^;
今までにもこういう行事について、全く知らなかったという事がありました。
やっぱりこういう行事というのは、親から子へ自然と受け継がれなければならないものだと、つくづく思いました。
話はそれましたが、端午の節句の風習について、台湾と日本では同じなのか?違うのか?
調べるように言われたので、調べてみました。
以下wikipediaより抜粋
<風習とその由来> 鯉幟(こいのぼり)
江戸時代の鯉のぼり、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版この日を端午とする風習は、3世紀の中国で始まったとされるが明らかではない。中国においては邪気を払い健康を祈願する日とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬で作った人形を飾ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習があった。蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていた。現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。
日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。
鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前に鯉幟(こいのぼり)を立てるのが、典型的な祝い方である。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。こいのぼりをたてる風習は中国の故事にちなんでおり、男子の立身出世を祈願している(鯉幟の項)。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと匹(あるいはそれ以上の)鯉のぼりからなる。
吹き流しの5色は五行説に由来する。
余談ですが・・・
吹流しの5色が気になり、五行説をしらべてみました。簡単に言うと古代中国の自然哲学より
木・火・土・金・水 の5種類の元素からなりたっているらしい。
そして吹流しの色は、白・緑・赤・黄・紺 の5色です。
どれがどれにつながるのか?そこまでは調べませんでした。すいません・・・
端午の日には粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる風習もある。粽を食べるのは、中国戦国時代の楚の愛国詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌としたものがちまきの由来とされる。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。また、中国語圏では現在も屈原を助ける為に船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われる。
なお、男の赤ん坊をもつ家庭にとっては「初節句」となるため、親族総出で祝われることも多い。5月5日が祝日であり、さらに前後に祝日を伴うゴールデンウィーク期間中にあるため、雛祭り以上に親族総出で祝われる。
以上、wikipediaより
みなさん分かりました?
端午の節句を調べただけで、歴史を覗いた気分になりました。
いろいろ調べると面白いですね(^_^)v